一緒に歩まずとも、伴走できる|私が婚外恋愛について思うこと

幻想的なデジタルアート空間でそれぞれ異なる方向を見つめる男女

今日は、婚外恋愛について今の私が感じていることを綴ってみようと思います。

婚外恋愛をどう捉えるかは、その人自身の価値観や経験、相手との関係性などによって全く異なるもの。

あくまでも35歳子持ちパート主婦の一見解ですが、よかったらお付き合いください。

私は結婚後、これまでに6人の男性と関係を築いてきました。

独身の方、子どものいない既婚者、子どもがいる既婚者など、お相手の状況もさまざまです。

そして現在は、1つ年上の男性とプラトニックなお付き合いをしています。

そんな経験を経て、今の私が思うのは、婚外恋愛は、必ずしも「お互いの日常を削って成り立つもの」ではない。

「誰かとの出会いによって、自分の人生をよりよく歩めるようになる」という見方もできるのかな、ということです。

もくじ

特別な時間が、日常まで少しずつ変えていく

日常の外にいる誰かの存在で、「自分をもう少し大切にしようかな」と思える。

早起きして、お肌や髪を整えたり、身体を動かしたりするのも苦じゃなくなる。

話をちゃんと受け取ってくれる人がいるからか、仕事や趣味にもより前向きになれる。

誰かに優しく、丁寧に向き合ってもらえたことで、自分もまわりの人に対してそうなれる。

…そういう小さな変化が積み重なって、その人の人生全体の質感が少しずつ底上げされていく。

ちょっとスケールの大きな話になってしまいましたが、婚外恋愛にはそういう一面もあると、本気で感じています。

人生の大半を占めるのは、結局のところ繰り返される日常です。

朝起きて、家事や子どものことをして、仕事をして…そして次の日がまたやってくる。

「たまにある特別な時間」ももちろん大切だけれど、人生全体の幸福感は、それよりずっと大きな割合を占める「日々の暮らし」をどう感じながら過ごすかに左右されるのではないでしょうか。

だからこそ、私は「日常の外にある楽しみ」だけを充実させればいいとは思っていません。

大切なのは、その「特別」からもらった活力を、日常に持ち帰ること。

仕事や家事、育児に追われる中でも、いつも通る道で木漏れ日がきれいだと思えたり。

家族の何気ない言葉や、リラックスしている姿も必要以上にひねくれて受け取らなくなったり。

そんなふうに、満たされてホカホカになった心が、目の前にある現実を見る目まで少し変えてくれる。

もちろんやっていることを全肯定はできないけれど、日常では補えない種類の刺激や癒しをもらった分、心に余白が生まれて、繰り返される日々をより頑張れているのは確かです。

こうした変化については、こちらの記事でも婚外恋愛のメリットとして詳しく紹介しています。

一緒に歩かなくても、伴走することはできる

関係が続いている間は、お互いの存在によって

  • 今日も頑張ろう!
  • これもやってみよう
  • 次に会った時は、こんな話もできそう

と、それぞれの人生を少し前に進められる。

私はそれを、隣に並んで歩くのではなく、少し離れた場所から同じ方向へ伴走するような関係だと捉えています。

もちろん、伴走するというのは、相手の人生に責任を持つことではありません。

相手の人生を背負わない。

相手の選択を決めない。

自分の人生も相手に預けない。

それでも、「あなたが頑張っていることは知ってるよ。私も私の場所で頑張るね」という感覚がある。

それだけで、人って結構強くなれたりします。

私も前は、今よりもっと相手の世界へ入り込みたかった時期がありました。

彼がどんな生活をしているのか。

今日は何をして、どんなふうに過ごしているのか。

時には、お子さんたちを連れて帰省中の奥さんのことまで勝手に想像して、「お風呂掃除した?」「排水溝までちゃんと掃除した?」とおせっかいを言ってみたり笑

今振り返れば、中途半端に相手の現実へ入り込もうとしていたのでしょう。

でも今は、素直にこう考えています。

彼には彼の世界がある。

私には私の世界がある。

同じ道を歩く必要はないし、相手の日常を逐一共有しなくてもいい。

だから普段は家庭について話すことはほとんどなくて、自然な文脈で「前に話してた猫カフェ、子どもと行ってきたよ〜」みたいに伝えるくらいです。

こことは違う場所で、その人がその人の人生を生きている。

そんな相手が、たまに自分の世界を少しだけ見せてくれる。

そして私も、自分の世界を少しだけ見せる。

その二つがときどき交わるくらいの距離感を、今は心地よく感じています。

表面上の毎日は変わらないまま、大切な人が増えるということ

誰かとの関係があるからといって、毎日がバラ色になるわけではありません。

「いつも通りの一日のどこかに、少し嬉しくなることがあった」くらいです。

「わぁ…嬉しい☺️」とか「教えてもらったあの曲、早く聴いてみたいな✨」みたいな小さな感情が、普通の一日にぽつぽつある。

私は、こういう関係性のほうが、むしろ「彩られる」という言葉に合っているような気がします。

会っている数時間はもちろん最高に楽しくて幸せですが…笑

現実に戻ったあとも「楽しかったなぁ」「あんなことを話したなぁ」と、その日のことを思い返す。

日常にも、その時間の余韻が残るんですよね。

つまり、今まで自分の人生にいなかった誰かが、いつの間にか

  • こんなことがあったと話したくなる人
  • 美味しいものを食べた時に思い出す人
  • 自分の嬉しいことを一緒に喜んでくれる人
  • 悲しいことも「この人ならわかってくれるかも」と思える人

になっている。

「ああ、私にはこの人がいるんだ」と思える。

それは、家族や友人とはまた全然違う形で「同じ毎日の中に、大切な人がもう一人存在するようになること」なのかなと感じています。

ただ、心の重心が移ってくると話は変わってくる

一方で、たとえば…

  • 彼に会えないと満たされない
  • 夫よりも彼に話を聞いてほしい
  • 何かあったら彼に一番に報告したい
  • 会うために家庭の予定を変えたくなる

という状態になってくると、私の中では少し話が変わってきます。

行為があるかどうかよりも、心の重心がどこに移っているのか。

私自身は、そこを大切にしたいと思っています。

もちろん、どこからがアウトで、どこまでならセーフなのか。

その線引きは人によって違うでしょう。

だからこれは、あくまでも今の私自身の考えです。

ただ、誰かとの関係によって今ある日常が少し豊かになることと、その関係がないと日常そのものを保てなくなることは、別のものだと思っています。

「楽しい」よりも「辛い・虚しい」が増えてきた時など、婚外恋愛のやめ時を判断する基準についてはこちらの記事で詳しく紹介しています。

今の私たちの関係について

今の私たちは、客観的に見てみると「それぞれの日常を生きながら、切り取られた時間の中で感性を共有できる異性の友人」という感じです。

会うと楽しいし、刺激をもらえる。

また会いたいとも思う。

でも、その時間は家庭とは切り離された時間として完結している。

恋人関係へ踏み込むための言葉や態度は、絶対に交わさない。

けれども夫とは別の種類の楽しさや癒しが、この人との間にはある。

そして夫婦であっても、自分の交友関係をすべて逐一報告する義務があるわけではないと思うので、ただ話題には出していないだけ。

そんな感じです。

まとめ

これが、私が結婚後に6人の男性とそれぞれ向き合い、いろいろ考えて、悩んで、迷って…

巡り巡ってたどり着いた、一つの結論です。

「今日もあの人は、あの人の場所で頑張っているんだろうな」「じゃあ、私も頑張ろう」と思える。

そんな存在がいることで、自分の人生を少し前に進められることがある。

相手の人生を変えるわけではない。

自分の人生を預けるわけでもない。

同じ道を歩くわけでもない。

それでも、人生のある時期に、お互いの心の中で伴走者になることはできる。

そして、いつかその関係が終わったとしても、その人と出会ったことで生まれたものまで全部なくなるわけではありません。

少し広がった世界。

自分への理解。

心から楽しいと思えた感覚。

そういうものは、その先の自分の人生にも残っていく。

一緒に歩まずとも、伴走できる。

誰かとの出会いによって、自分の世界が少し広がる。

誰かが自分の人生に存在していることで、同じ毎日の中に少し嬉しいことが増える。

その「特別」からもらったものを日常へ持ち帰り、また自分の人生を生きていく。

私にとって今の婚外恋愛は、そんなものなのかもしれません。

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